明日は幸せか?

2009.05.31 Sun

やっと五月が終わる。何度も何度も、苦しい月々を過ごしてきた私だが、今月ほど苦しい月は無かった。なんとかこうやって月末を迎えることが出来たのも、人の情けにすがったからだ。たった一人で生きているように思っていた。だけど、私は多くの人に支えてもらっている。それも一度もお会いしてない人のほうが多い。コメントやメールのやりとりだけで、もうずっと友人であるかのような気持ちでいる。それは、皆がとてもやさしいからである。

私も自慢できるようなやさしい心を持っている?人が好きだ。いろんな個性溢れる人達と触れあい、話をする。たとえ、言葉だけの繋がりであっても、私はそれらの言葉に励まされ、落ち着き、たまには涙を流し、そして癒されている。とても嬉しいことだ。私は身近に親しく心を許せる友人がいない。でも、ネットを介して知り合った私の友(一度も会ってない人も含めて)には全てにおいて、心を解放したいと思っている。

ここを訪れてくれる人々と知り合った経緯は多岐だけど、こうやって今でも音信があることに感謝している。いくら強がりを言っても、人は寂しいもの。人恋しいのだ。言葉を発信して、コメントが来なくなったら、私はブログを閉じる。思うようにならない日々を過ごしていても、時々もらう言葉で私は生きる力をもらっている。心が温かくなる言葉が、私の支えなのだ。

明日からまた大阪出張だ。そして、給料日。さて仕事が終わったら飲むぞ〜、打つぞ〜!

投げかける言葉歩いて迷い道 bud

  1. 2009/05/31(日) 21:29:45|
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少女じゃないが

2009.05.24 Sun

四日市ナイターを打ちたいがために、ささやかな資金を入金しようと思って、夕刻コンビニに寄った。店の出入り口は取っ手が二つ付いた両開きの扉だ。私は左側から店へ向かった。扉の取っ手を掴もうとした瞬間、右側から来た30代の女性が一瞬早く右の扉の取っ手を掴み手前に引いた。私は、彼女が店に入ってから、後に続こうと思った。

「どうぞ!」彼女は扉の取っ手を持ったまま私に言った。先に書いた「少女の心」で受けた小さな親切を思いもかけずに再び体験した。あの時とは微妙に違う感覚だった。それは、全く持ってそんな行動を予期しなかったからだ。決して若くはないその女性に対し、どうお礼の言葉を発しようかと迷った。普通なら「あっ、すいません」なのだろう。しかし、瞬間的に出た言葉は「ありがとう!」じゃなく「ありがと」だった(笑)

ATMで入金して、買い物もせずに店内を見渡した。先ほどの女性が気になったからだ。あっけに取られ、よく顔も見ていなかった。レジに並んでいる彼女がいた。目が合った。軽く会釈をした。美人じゃないが笑顔が輝いていた。ただ、それだけの出来事なのに、何故か心が満たされるのは、きっと、やさしさに飢えているからだろう。

歳を取るにつれ、日常の些細な事象が心に響く。もともと感受性が強い性格だ。涙もろくなって、人恋しくなって、酒と博打に心のよりどころを求めているのかも知れない。で、こんないい気分で臨んだ今夜のナイターだったが、辛うじて間に合った10R、あんな車券が取れる訳ないやろ。

巡り合う人それぞれのやさしさに老いても生きる糧になりしや bud

  1. 2009/05/24(日) 00:33:19|
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情けは人の為ならず

2009.05.19 Tue

この言葉の意味を多くの人は間違って解釈している。多分、言葉そのままに、人に情けを掛けたら、その人は駄目になってしまうとか、親切は仇になる等、そんなイメージを抱いているのでは?

でも、本来の意味は「人に親切にしておけば、それが巡り巡って、いつか自分のためになる」というものだ。

私の今月の状況は悲惨だ。連休明け以来、十日も無言でいたのにはそれなりの理由があった。そんな折、思いがけない電話があった。私の窮状を心配してくれたのである。

持つべきものは心の友人だ。今日、私はその人の厚意に甘えた。申し出てもらった情けをありがたく頂戴した。その時、この言葉がよぎったのだ。私の為にならなくとも、きっといつかあなたに巡り巡って、いいことがありますようにと、心から祈った。

私は、これからもあまり変わらないだろう。凝り固まった情念の元、人にどう言われようとも、そう容易く生き方が変わる筈が無い。しかし、周りからの温かい眼差しと熱い気持ちだけは、素直に受け止めている。

人として生きている以上、一人では生きて行けない。この事は、嫌と言うほど自覚しているつもりだ。ただ、それらの好意に応えられないもどかしさが、私を苦しめる。いつか、きっとと思いながら、もう七年の月日が過ぎた。

暗闇のわずかな明かり二等星 bud

  1. 2009/05/19(火) 23:43:35|
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発した言葉がある

2009.05.18 Mon

短歌人であるせいちゃんのコメントで私のブログを訪れてくれるのは、なにも競輪客だけではないことを知った。その理由が、日記の最後に書いている一行の言葉にあった。なんの心もなくただ、その日の日記に書いた内容に合わせてしたためた言葉だった。過去一年間のその言葉を拾ってみた。ただそれだけだが、懐かしい記憶が蘇る。言葉は人を表す。私を救ってくれる。ありがたいことだ。

夢を見たうなされ起きた朝がある不満だらけの日々が幸せ(平成21年5月17日)
夜になり心の中に穴が空く
最果てに辿り着いても道探す
繋がりて心静かな時もあり 
悲しくてでも嬉しくて明日が来る
朝が来る心優しい少女笑顔輝き薫風のよう 
振り向くと私の過去が消えて行く
うららかな陽を浴びている逢えし子等幼き頃の笑顔はじけて 
子供たちいつまで経ってもわが子なり 
施しに無欲のポーズする我に桜散りても春を呼ぶ声
誰ひとり不幸を拾う余裕なし
散りつつも命あるもの毒を吐く
逃げるほど大きな声で笑いたい
陽気良し誘われ貝と戯れる
乱雑に思いは散りて春を待つ
桜咲くニュースありて春を知る
明日は来る違った世界なるにせよ
男には流す涙に過去がある
出来悪くふらふらになりおじぎする
白き壁見ているだけで日が暮れる
どうしたの声を聞くたびただ笑う
おはようと会う人みなに声掛ける
君だけに残したいものどこにある
斜め行くずれた道さえ歩めない
非業の死望まなくとも雨が降る
やるせなくまたやるせない冬の夜一人鍋して暖を取りつつ
冬桜雪舞い降りて木々に咲き
もう少しやらして下さいわがままを
時々は死んだふりする生きるため
理由なき反抗なんて死語となり
もう止めたそんな言葉を飲み込んで好きな博打に狂う一年
持続する意思はあれども消える夢
神がいて時々元気にしてくれる
思いきり弾けたい夜年の瀬に
誰でもが同じように生きている
クリスマス心に少し現れる
金がある束の間の刻外寒し
明日は未知いつもと違う人が居る
相容れず言葉彷徨い思うもの絡まる糸に心離れて
勝つために不自由なまま生きてやる
つぶやきの全てを巻いて本にする熱き語りを共に携え
無駄にせず仕事終われば遊ぶ人
鬱になり山へと向かう我があり蕎麦に癒され俗世忘れし
追い込まれ全てを無くし生きてきた生きたい気持ち引きずりながら
深々と冷え込む朝の束の間に一合炊いた飯の美味さよ
やさしいと胸が痛むよ私には
観光地行った振りして土産買い嘘も方便博打の世界
ゆらゆらと崩れ壊れる悲しき世
律儀にも無けなし遣うしおらしさ
さすらって回帰するもの恋なのか
いちにさんボックス買いのお兄さん
ヤラレるとカレーの味も微妙なり
別れても季節の風に聞き及ぶ子らの幸せ願う父あり
性格をたやすく変える口座残
あの頃の君を連れ去る歌を聴く
締め切られ買い目晒して穴となる
朝夕に季節の吐息散歩する
人心はただひたすらに空を舞う
佇んで戸惑い迷う別れ道
安らかに眠る子のよう今夜だけ
離れても折節想う我が子なり
薔薇よりも田に咲くれんげ美しき
霞むほど言葉浴びたし秋の夕
やるせないこんな日もあり過去となる
幻の国の主を捨て去りし
振りほどき我が行く道を駆け抜ける
弱き者嘆かせる奴愚かなり
北京にて大和撫子笑みこぼれ
安ホテル夜空に小さな星ひとつ
変わらない風景がある心にも
夏の夜に二人で集う星の下
青春が二度あるように生きてみる
たまに降れ激しくそっと夕立よ
悩むほど笑わない日がまだ続く
死んでやるそんな言葉が溢れてる
気分だけ都合を付けて心地良い
限界を知らずに生きて我慢する
陽が昇る朝だけいつも気が変わる
炎天下ひまわりのよう輝いて
折々に馬鹿と利口が入れ替わり
陽が射して私の周り温かい
包まれる喜びがあり生きている
同じことあっていいこと悪いこと
あぁ夏だ移ろいながら熱くなり
幸せはヤラレを鼓舞し偶に来る
みなづきは青き紫陽花咲く頃の雨に似合いしマイバースデイ
ノーマーク想いを集め一冊に
温暖化四季移ろいをシャッフルし
熱くなる心を見透かす小ぬか雨
久しぶりやってやられて日が暮れる
底を見る古傷痛むかのように
見上げれば満天の☆(星)ただ遠く
旅の果て景色に浮かぶモノローグ
肩落ちる後姿の寂しさは辛苦を舐めた人ならばこそ
暖かい陽気が誘う旅打ちは五月晴れのち帰りはオケラ
行楽に浮かれしヤラレ旅打ちは花の大阪いざ出陣
人が好きだから幸せ持っている(平成20年5月1日)

その折々に私が居た。確かに生きていた。そう思う、この一年。
これらの言葉には私の素直な思いがある。とても小さいけど重いもの。

一人だけ言葉より先歩きたい bud

  1. 2009/05/18(月) 00:00:01|
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忍び寄る危機

2009.05.17 Sun

気が付けばもう10日も更新をしていない。元来、気まぐれでお調子者だからな。それにしても今の社会情勢は異常だ。会社と関係のある企業が日替わりのように潰れている。我社にも商社部門がある。与信管理は大丈夫だろうか?いきなり得意先が倒産となれば、その負債は大きいものがある。そして、ふりかかる災難は末端の従業員にもろに影響を与えるのだ。近づくボーナス時期を前にして、そんな話題はまっぴらごめんだ。でもここ最近、取引先が2社潰れた。その前日まで、営業が会社を訪れていた。彼等は今どうしているのだろう。

もう何十年と生きてきているが、今の政治は世紀末の様相を呈している。誰が総理になろうとも、抜本的な解決には到底なりようもないほど、ひどい状況だ。ばらまく財源の元は借金であり、国民の負担となる。補正予算が十兆円を超えるなんておかしい。今がどうあれ、選挙対策に期限限定の甘い汁を与えてしまおうとの魂胆がある。標的になった民主党の小沢は、断腸の思いで職を辞した。後任に鳩山幹事長が代表になったが、親小沢とか非小沢とかの色分けでしか論じきれないマスコミの腐りきった論調は全く情けないものがある。

自分の意見が論じられないなんて、ジャーナリズムの風上にも置けない。地に堕ちたも同然である。テレビ、新聞、雑誌等で語られる言葉の半分以上は何かしらの圧力の下、規制された言動である事は疑いの余地がない。世論調査なんて、本当に正しい報道がなされている?その質問自体が誘導的なもんじゃないか。日本人は大人しい。よほどの事がない限り、国民的な反対運動なんて起こりゃしない。三十年代の安保闘争、四十年代の浅間山荘事件、東大安田講堂事件を最後に、学生や市民レベルでの大きな反体制運動は影を潜めてしまった。

もう私は若くない。しかし、これからこの社会を生き抜いていかなければならない若者の未来が暗く、暗澹たるものでは可哀相ではないか。夢や希望に満ち溢れた未来を想像し、目的に向かって活き活きと生きていくのが幸せに繋がるものだ。それが、不安と厳しい現実を目の前にして、就職もままならず過ごさなければならないなんてどう考えてもお上の政策が間違っているのだ。何故か、新型インフルエンザで政府の動向は違う方向へ国民を誘導している。本当に大事なことをカモフラージュするかのように。。。。

夢を見たうなされ起きた朝がある不満だらけの日々が幸せ bud

  1. 2009/05/17(日) 20:21:48|
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